新しい遺跡の敵
中国の城について調べていて、ふしぎに思ったのは、前漢時代からずっとこの地は漢族屯田の地であり、シルク・ロードのまちでは敦煙とならんで高昌は漢文明の勢力圏であったのに、遺跡には「漢」のにおいがかんじられないことだった。
たとえば、建物にしても、方形の枠にドームをつけたりして、むしろイラン的な雰囲気がする。
しかも、この土地は仏教だけではなく、マニ教やキリスト教も栄えたことがあるという。
それらの寺院の跡も現在に残っている。
やはり、風土と建築材料の制約は、民族の生活風習のみならず、美意識まで変えてしまうものらしい。
中国の城のなかで、この高昌城などは、まさに異色のものというべきであろう。
十九世紀末までは、遺跡のなかに、さまざまな遺品も残っていたが、ロシアのクレメンツの探検(一八九七年)以来、ル・コック、スタイン、大谷探検隊などによって持ち去られた。
いまは人民公社の文物管理負責人が、その保存につとめているが、最近、またしても新しい遺跡の敵が出現した。
それは水である。