家を建てるとき気になること その2
米ヒバは白アリに強く、米ツガよりずっと良い土台になります。
それなのに、なぜわざわざ集成材にしたものを土台に使うのか、その意味が分からない。
住宅メーカー、建築技術者、マスコミ、皆こぞって集成材はいいものだと言うが、実物を見て触っている者としては、本当にそうなのか疑問です。
米ヒバの無垢土台も市場にはあります。
しかし、少しいい家にしようと考えたら、土台にヒノキを使うことぐらいは指定するものです。
米ヒバは白アリに強く、米ツガよりずっと良い土台になります。
それなのに、なぜわざわざ集成材にしたものを土台に使うのか、その意味が分からない。
住宅メーカー、建築技術者、マスコミ、皆こぞって集成材はいいものだと言うが、実物を見て触っている者としては、本当にそうなのか疑問です。
米ヒバの無垢土台も市場にはあります。
しかし、少しいい家にしようと考えたら、土台にヒノキを使うことぐらいは指定するものです。
米ツガの防腐剤注入土台。
これは建売住宅ではなく、大手の木質系プレハブ住宅メーヵ1や、ツーバイフォー住宅などに使われているものです。
建築主が特に注文をつけなければ、この土台になります。
強烈な薬品を注入したものです。
米ヒバの集成土台。
土台に集成材が使われているのにビックリしました。
高昌城の遺跡を腐欄から守ったのはなんだったのだろうか?
それは乾燥だったようだ。
解放後「中国の沙漠地帯では、天山の雪どけ水をカレーズ(地下水道)で、これまで耕作不能であった土地に流し、「沙漠を緑に」する事業が進行している。
カレーズが近づけば、そのあたりの土地は潤ってくる。
土地が潤いをもつのは、農耕にとっては絶対的な条伶で、きわめてよろこばしいとといわねばならない。
だが、土地が湿りを帯びてくれば、乾燥しているので助かってきた遺跡に、あまり良い影響がないのはいうまでもない。
「ほら、緑がそこまで来ています」
火焔山人民公社の人が、指さしてそう教えてくれた。
棉の畑の緑が、もう高昌故城のすぐそばまできている。
話によれば、地下水道はこれ以上、高昌故城のほうには伸ばさない方針であるが、それでも周囲の湿潤花によって、いくらか影響を受けざるをえないだろうという。
保存法について、現在、鋭意研究中で、そのためのテストもおこなわれているそうだ。
中国の城について調べていて、ふしぎに思ったのは、前漢時代からずっとこの地は漢族屯田の地であり、シルク・ロードのまちでは敦煙とならんで高昌は漢文明の勢力圏であったのに、遺跡には「漢」のにおいがかんじられないことだった。
たとえば、建物にしても、方形の枠にドームをつけたりして、むしろイラン的な雰囲気がする。
しかも、この土地は仏教だけではなく、マニ教やキリスト教も栄えたことがあるという。
それらの寺院の跡も現在に残っている。
やはり、風土と建築材料の制約は、民族の生活風習のみならず、美意識まで変えてしまうものらしい。
中国の城のなかで、この高昌城などは、まさに異色のものというべきであろう。
十九世紀末までは、遺跡のなかに、さまざまな遺品も残っていたが、ロシアのクレメンツの探検(一八九七年)以来、ル・コック、スタイン、大谷探検隊などによって持ち去られた。
いまは人民公社の文物管理負責人が、その保存につとめているが、最近、またしても新しい遺跡の敵が出現した。
それは水である。
高昌城の建築材料であるあの天日干しの方形土塊は、あのなかになにを混ぜてあるのか、粉砕して畑に撒いておけば、じつに有効な肥料になるそうだ。
農民たちは、城壁や建物の土煉瓦を崩し、車に積んでは自分たちの畑に運んで肥料とした。
大量運搬の輸送器具が発達していなかったのが、せめてもの幸いであったといわねばならない。
土煉瓦だけではない。
そのようにして造られた装飾品まで、畑のこやしにされてしまったのである。
千数百年の歴史をもった骨重品の肥料で、高梁や棉花がみのったわけだ。
現在、カラホージャは、「高昌故城」として、保存が講じられている。
そのあたりは、文物(文化遺産)管理の責任者がいて、遺跡を構成する物を、肥料にしないように、農民たちに教えている。
シルク・ロードのオアシス都市国家は、東西交易の仲介者として栄えたのだが、人口四万足らずていどでは、軍事的な強国になることはありえない。
防衛のためには、もっと強大な勢力と結び、その力を借りるほかなかった。
ときに唐につき、ときに西突厭についたりする。
勢力の均衡が失われると、国家の基礎が危うくなり、ついには亡国の悲劇をみることになる。
文化財が畑のこやしに唐に、ウイグルに、そしてモンゴルに、この城はなんども滅ぼされた。
そして、500年もかえりみられずに、沙漠にうちすてられでいたのに、廃嘘にせよ、よく残ったものである。
その理由は、第一に焼けなかったことだ。
沙漠のオアシスでは、材木がすくない。
建築材料は、どんな宏壮な宮殿でも、例の天日に干した土塊で造られる。
火を放っても炎上しないのである。
極端に雨量のすくない乾燥地帯なので、溶け崩れることがない。
本来なら、もうすこし完全に残っているべき遺跡であるが、火や水ではなく、思いもかけぬ敵がいて、そのため現在のように、崩れ残った形になったのだ。
その敵とは人間---農民である。
唐末に高昌城はウイグルに占領されたが、ここはやはり国都として栄えた。
トルファン盆地の中心が、ここから現在のトルファン県城のあたりに移ったのが15世紀というから、高昌城が廃嘘になって、もう500年ってるのだ。
ふつうの民家はとっくに崩れて、現在まで残っているのは、大きな宮殿や寺院、そして城壁である。
この廃嘘を調査したスタインは、面積二・五平方キロと述べているが、その地をじっさいに訪ねて、廃擁に立ったかじは、もうすこしひろいの、はないかという気がした。
玄装が訪問したころ、高昌と唐との関係は良好だったが、12年後の貞観十四年(六四〇年)関係が悪化し、唐はこの漢人王国の高昌を滅ぼし、安西都護府の管轄下に置いたのである。
高昌国滅亡当時このまちの人口は三万6000で、戸数8000といわれている。
古習臼はおそらく、武帝時代に漢人の屯田によってひらかれたと思われる。
はじめは、「高昌壁」と呼ばれたのだから、人が住みはじめると、すぐに壁でその地域を囲ったらしい。
城と呼ぶにはまだお粗末だったので、遠慮して壁と称したのだろう。
その後、しだいに充実したので、城と呼ぶのがふつうになった。
高昌城は哈拉和卓(カラホージャ)とも呼ばれるが、玄装がインドへ旅行したとき、この地にしばらく滞在したことで知られる。
ここは西域だが、古来、漢人の居住地区で、玄装のころも、麹氏という漢人の王をいただく都市国家であった。
そして、やはり中国ふうにまちを城壁で囲んだ。
嘉硲関のあたりの長城とおなじく、焼成していない土煉瓦の壁や建物が、千数百年の風霜を経て、いまに残っているのだ。
中国では戦国時代に、各国が長城を築いた。
燕の長城、趙の長城、魏の長城などのほか、斉にも楚にも長城があった。
秦の始皇帝は、諸国の長城をつなぎ合わせ、補強したのにすぎないのだ。
万里の長城は遼東から現在の甘粛省の臨挑にいたっている。
以前、甘粛を旅行して、嘉硲関が長城の西端であるという説明をうけたが、それは明代に延長した部分である。
すでに雨量のすくない地域なので、天日で干したままの土煉瓦を積んだ壁であった。
それを見て、新彊ウイグル自治区トルファン県にある「高昌城」の遺跡を思い出した。
iphoneでカメラ映像を見れる,激安防犯カメラ販売、監視カメラ販売。塚本無線はISO 9001・14001認証工場。防犯カメラを弊社は自己開発・製造販売をしています。遠隔監視システム、防犯カメラ監視システム、防犯録画システム。
家庭教師のタートル先生のご案内。小学生・中学生・高校生のための家庭教師を紹介。苦手科目克服・やる気アップ・定期テスト対策・受験対策なら家庭教師のタートル先生へ安心してお任せ下さい。
合宿免許を120%楽しもう!格安ネット割・女性限定・春休み特別プラン等の最新情報から行きたい教習所がきっと見つかります。毎年1万人超の利用者数は最大規模。東京&大阪スタッフがサポート♪お問い合せはフリーダイヤル0120-44-1859
レンタルオフィスを探すなら全国の物件情報が満載のレンタルオフィスイエローページが便利。エリア検索から、ご希望の条件を指定して物件検索ができます。
不用品回収・パソコン回収・家電リサイクル・パソコン廃棄・パソコン処分・パソコンリサイクルのパソコンファームはパソコン回収・家電リサイクルが無料です。不用品回収・パソコン回収・パソコンリサイクルをしたい方は連絡不要で送るだけで処分完了